San Pedro の回想 8-3
(CRUESING WORLD Japan 1991年10月号に掲載分より:15年前の日記帳)
ファーリングシステムに変更する間、十分な帆走はできませんでしたが、ハーバーから20マイルほど南の、カタリナ島を目指してフルセールでクルージングすることができました。
《フリーランス》の走りは、図体に似合わず軽やかで、しかもほとんどヒールせずに走る(帆走中もつい両手をフリーにして歩いてしまうほどでした)ので、ちょっと驚きました。しかし、上がりはからっきし苦手のようで、ミズンを揚げないとタッキングもままならないくらいです。こんな時には、パーキンス100型85馬力を併用するのが、このトリマランのデザインコンセプトかも知れません。
トリマランは西海岸では比較的少ないそうで、《フリーランス》のほかに、2艇ほど航行しているのを見ましたが、上がりはいずれも機走していました。しかも1艇はセールカバーをかけたままでしたので、何がなんでも帆を揚げるという感覚はなさそうです。ちなみに機走スピードはすべてなかなかのものでした。
短い滞在中に「トランスパック'91」のスタートがあり、すぐ隣のバースに浮きドックごと係留してチューニングを繰り返していた出場艇が出て行きました。
(参考)トランスパック・ヨット・レース - その歴史と記録
1991年の総合優勝は《チャンス》、サンペドロ沖ーホノルルを9日21時間59分35秒で走破。隣のバースに係留していた70feet艇によく似ていた。
カタリナ島は映画『五つの銅貨』1959で、レッド・ニコルズ(ダニー・ケイ)がチコ・ハミルトン(本人が出演)と再会するシーンが印象的だったので40年経ってもよく覚えていた。
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